2008年7月30日水曜日

ブログの更新について

 しばらく日本の中で移動するので ブログの更新が思うようにいかないと思う。自分の毎日や思いを整理したりするのに過大な役割を占めてきた。情報社会にどっぷりつかっている感があるので すこし心もとない気がする。ちょっと前までは毎日、日記を書いていた。それに戻るだけの話なのだが。モンタナがしきりに私の注意を引こうとしているので しばらく遊んで眠る事にする。

2008年7月29日火曜日

準備完了

 いよいよ 明日7月30日 ポートランドから直行便で日本へ行く。部屋の掃除、工房の整頓、支払いすべての準備完了。モンタナは友人のJANが私の所に寝泊まりして面倒を見てくれるから 何も心配いらない。子供に関しては余計な心配をしてしまう。取り越し苦労でも母親というのは困ったものだ。私だって学生時代 親元を離れて東京で暮らしていたのだから。あの頃 私の母はゴチャゴチャ言わなかった。あの自信は私を信頼していたからなのだろうか?それにしても 今頃になって分かる 我が母の偉大さ。4週間あまりしかないけど 精一杯お手伝いしてこようと思う。

2008年7月27日日曜日

3冊の本

Extremely Loud and Incredibly Close - Image Courtesy of http://www.jonathansafranfoer.comThe Motel Life By Willy VlautinBlind Willow, Sleeping Woman: 24 Stories

  3冊 本を購入。帰国の際 移動時に読むつもりで購入したにもかかわらず 誘惑に負けて拾い読みするつもりが 真剣に読みはじめてしまう。まーいいかと訳の分からない事をつぶやきながら それでも本が離せず困ったものだ。都合の良い事に空港にはポートランドが誇る素晴らしいパウエルBOOKが 3店舗もあるしと自分に言い聞かせ 本腰をいれてモーテルライフを読みはじめてしまった。ここまでくると中毒だ。

レニアーチェリー

 ウッドストックのリンボーへ野菜を求めに行ったら レニアーチェリーのセール中でなんとこれだけ全部を2ドルで買った。直径30cmの皿いっぱいになる。普通 ポンド(453g)4ドルぐらいで売っているので 随分 得をした気になる。

2008年7月26日土曜日

レシピ

 母も私も妹も作るヨーグルト入り簡単ケーキのレシピ。1970年代 まだ日本にいる頃から重宝しているレシピ。だまされたと思って御試しあれ。まずは材料から 小麦粉1カップ ベーキングパウダー こさじ1 砂糖 半カップ  2個 サラダ油 半カップ プレーンヨーグルト 1カップ リンゴ2個 レモン汁少し 作り方 .卵 サラダ油 砂糖をボールに入れて混ぜ合わせる。これにヨーグルトを加える。.1にふるった粉をだまが出来ない様に少しずつ加える。.パイ皿に2を半分流し込みスライスしたリンゴを輪をかく様に並べる。.残りの2を流し込みオーブンで350F(200度)ぐらいで30分ほど焼く.まわりが少し焦げたぐらいがおいしそうに見える。焼き立てもおいしいが冷やしても良いお味。レモン汁はスライスしたリンゴにかけておく。 私の母はリンゴの変わりに缶詰の黄桃をスライスして代用していた。泡立てもしなくて良いから簡単。マドモアゼルいくこの おいしくて 太らない 簡単で失敗しない秘密のケーキ作りという本からのレシピ。

ネオテニージャパン 高橋コレクション

 鹿児島霧島アートの森で 日本の現代美術のコレクターの所蔵する若手アーティスト33人の作品88点が展示されているらしい。アメリカでもお馴染みの奈良美智や村上隆など。帰国の際の楽しみが増えた。毎年ここには 兄の家族と訪れる。半日を屋内や野外の展示を見て過ごす。ネオテニー・ジャパン 高橋コレクション展

2008年7月24日木曜日

ソーラ システム

 工房の掃除を友人のANNAに手伝ってもらい終了する。美術学校時代の話で盛り上がりながら楽しい時間を過ごす。工房のある建物全体がソーラシステムに変わる。私の部屋の外の廊下にそれぞれの部屋のメーターの設置がおわり古い建物の一部ながら近代的な様相を示している。とても理解あるオーナーで沢山のアートをめざす人々に場所を提供している。13年あまりの歳月がこのビルに工房をかまえて過ぎたが 家賃は昔のままである。ありがたい限りである。

帰国準備

 恒例の夏の日本への帰国準備に追われている。一か月あまりの日本滞在にむけて部屋や工房の掃除や お土産の買い出しなど 結構やらなければならない事がある。モンタナは友人が見てくれるので安心。モンタナはJANおばさんが大好きなので心配無用。成田空港から新幹線で新大坂 そして倉敷の妹のところで少しのんびりさせてもらって鹿児島入りの予定。去年は妹夫婦に出雲大社や鳥取へ案内してもらった。今年は何処かなと心が弾む。もうすこしで日本の家族や友人に会えると思うとモンタナや息子には悪いがニコニコと笑いがとまらない。

2008年7月22日火曜日

田中一村

田中一村 母の大好きな日本画家 奄美大島の自然を表現し続けた。気分が滅入るような時は いつも母がくれた 絵葉書をじっと見る事にしている。いつのまにか嫌な気分が遠のき 絵の中に逃避出来る。言いたい事 言いたい人には言わせておけと思う。

2008年7月19日土曜日

オレゴンワイン街道

              ワイナリーの入り口の壁

  昨日、お仕事でワイン街道へ行った。女性二人組そこぬけに楽しい方々で あっという間に仕事終了となる。3件のワイナリーを回り 途中でピクニックランチ、会話も弾む。何よりお天気もじょじょに良くなり 景色や空気がすばらしい。是非 オレゴンのワインを皆に楽しんでもらいたいものだ。

2008年7月17日木曜日

第2回 パウエル遠征

 昨日にひき続き パウエルまでのダウンタウン横断。昨日の経験により サイドウォークの状態の把握ができており スムーズに移動終了。時間も昨日より短縮で移動完了。買い取ってもらえない本は店の方で図書館に寄付する事に同意したので 持ち帰らずにすんだ。二日間の合計二百三十ドルのクレジット。ニヤニヤと笑いが止まらない。

刺身 tasting

 オレゴンステート大学の施設でハマチの味見のリサーチに参加した。この施設はオレゴン産の農水産物を中心にそれに携わる人々に利益をあげさせる手段をリサーチする研究所である。それにともなう加工業者 仲買業者 そして販売業者の観点から考えて行く。最終的に新しいビジネス 新しい職場を開発していくのが目的らしい。
 施設は4年まえに NAITO PARKWAYに完成。丁度ユニオン ステーションの裏側にある。今回はハマチの味見。12あまりの味見ステーションでそれぞれが(12人) 3皿を味見 ハマチでない物が混じっているのでそれを見つけだし コンピューターに入力していく。小さな窓口から3回にわたって合計9皿、9切れの刺身が出てくるのだが 醤油とかワサビはない。それは至極 残念。いろんな質問事項があり パッケージング、ならびに消費する量。収入、学歴など。30分ほどで テスト終了。面白い経験をし30ドルいただいた。
Food Innovation Center

2008年7月16日水曜日

パウエルBOOK

 友人が引っ越しをすることになり恐ろしい量の本を整理しなくてはならい事に成る。彼女のSOSに応えるべく 出動、ダウンタウン内での移動だが 徒歩でカートに乗せて移動すると言い張る彼女の意見を尊重し 約7ブロックを2台のカートで移動。ところが途中何度か あまりの重さにカート転覆 本が路上にちらばる。道行く人々は好意的で本を売りに行くのかとすすんで拾うのを手伝ってくれる。さすが活字中毒の多い街である。 一回に付き 半端な数でない本で溢れている一台分のカートの売り上げを 手伝い料として出すと言う彼女に 儀礼的にいらないと2度ほどは お断りしたが 3度目にもう喜び丸出しでありがたくうけとる。パウエルBOOKのランディ氏の本を見極めるスピードは速い。2台のカートをあわせて 三百ドルぐらいのストアークレジットで一日め終了。そう一日め終了と言う事は まだ二日目、三日目があるということ。本と共の大横断はまだまだ続く。彼女は一度決めたらそれが最後 心変わりしないから 車で運ぶという事はやらせてくれないだろう。

2008年7月15日火曜日

Mt.Adams


 Mt. Adams が遠くに見える。ワシントン州に位置し高さは3742mある。写真では分かりにくいが 山の右側にうっすらとたなびく煙は 山火事によるもの。8000エーカーあまりが被害にあっている。ニュースで7100エーカーまで火勢をくいとめられたが 後は自然に任せるしかないらしい。風向きとか 雨が降らないとなかなか 鎮圧できないようだ。発生した煙りなどは 焼けた匂いとともにかなりの期間消えないそうだ。落雷とかでこの季節は山火事が発生する確率が高くなる。広大なアメリカ オレゴン州だけで何と日本の国土の7割弱ある。本州と四国を足したぐらいの広さだ。

2008年7月14日月曜日

アルデンテ

 冷凍庫に眠っていたティラピィアの薄切りにパーマージャンチーズをまぶしカリカリに パンフライし アルデンテに仕上げたパスタの上にパセリやスカリオンのみじんぎりに レモン汁をかけた物をのせ カリカリの魚をのせ しあげに 日本が誇るポン酢をたらし今日の夕食完成。横文字が並ぶとなんだか グルメ風だなと思う。要するに残り物を工夫して食べたという事。

似た者同士


 似た者同士というのは 入らぬ説明が省けるのでやりやすい関係なのかもしれない。ただこれが親子の場合 少し面倒な事になる時がある。敵が何を考えているのか どういう思考回路を持っているのか分かってしまう。先回りをしたがる親にとって 二つ先の角で敵を待ち伏せる気分にさせてしまうのである。子の方は子の方で こちらの出方が分かるから手前の方から攻めてくる なし崩し作戦と勝手に呼ばせてもらっているが。この作戦はかなり威力を持っているので親は足を地につけて対抗せねばならない。泣きつき作戦とかは私には通用しないので今の所 敵も攻略法を極めていない。親側が先手をとり相手の痛い所をつく 兵量攻め作戦などもあるらしい。これは一番効果が出るらしいのだが 腹を減らせて戦をさせるわけにいかない。母には出来ぬ作戦である。 こちらが子に心配をさせる 母上は大丈夫なのだろうかと思わせるボケでのりきろうかと思う昨今である。
 

2008年7月13日日曜日

蓮の花

 鶴丸城は江戸時代島津家久の命によって築城され 人を持って城となすという考えで造られた平屋造りの城だったが 明治6年の火災で焼失 現在は石垣と石橋と濠を残すのみとなった。美術館と歴史館が現在石垣の中に建てられ市民に愛されている
 鶴丸城のお濠には 初夏になると蓮の花が咲く。鹿児島市役所 社会課文化係で鹿児島史跡めぐりの資料を集め 編集 整理したり 少年合唱団の演奏会( 進行役のアナウンスをつとめた。) 公民館や文化センターでの催し物を手伝うアルバイトをした事があった。城山町の中央公民館内に仕事場があり よく昼休みに近くの城跡まで この蓮の花を見に行った。アメリカにやってくる2年前だからもう32年近く前のはなし。今も変わらず夏になると 同じ光景を新聞の片隅に見つけると嬉しくなってしまう。今はインターネットのおかげで 何処にいても同時に情報が得られる。好きな人に、もう蓮の花が咲き始めました。いつ戻りますかなどと情緒ある手紙を出す必要性がなくなったのは じゃっかん 寂しいが。
 

2008年7月12日土曜日

Montanaの新しい座布団

 又してもモンタナ嬢は彼女をこよなく愛してくれる Jan叔母さんより 新しい座布団をプレゼントされ さっそく座り心地をためす。なんとこの座布団の中には またたびの乾燥された物が入っているらしい。よだれをたらさんばかりに しがみつく様に座り込む。

Satarday Market 周辺

 Satarday Marketがあるバーンサイドブリッジの下は 工事中でごちゃごちゃした感があるのだが それでも毎週末になると大勢の人でにぎわっている。先週末、友人のJANの店じまいを手伝ったおり テントをたたみ 全ての出店が立ち退いた後 すぐ後ろがこの建物だった。日本の工事現場と比べるととても大雑把なのではないだろうか。

青空


 7月11日 Mt.Hoodまでお客さまをご案内する。途中コロンビア渓谷を経由し まだ雪の残るフッド山に到着。沖縄の方で雪などあまリ見た事がないと大喜びされる。青空が広がり素晴らしい眺めだった。スノーボードキャンプの若者達でロッジがにぎやか。 

2008年7月8日火曜日

Garlic spears

 週末にファーマーズ マァーケットでGarlic Spearsを購入したので炒め物にする。ただ塩と胡椒で炒めて バルサミコをすこしかけて食べた。これが非常においしく ここのところ やみつきになっている。茎の部分のかたい所をのぞいて 炒めるのだが美味。なんだか疲れがとれるような気がする。 

2008年7月5日土曜日

The Glass Castle

The Glass Castle: A Memoir

3日間ご一緒したグループを 空港までお送りした後 空港内のパウエル書店を覗いたのが事の始まりだった。といっても又 本を3冊も購入してしまっただけのことなのだが。空港からの帰りの電車で 読みはじめて家に帰ってからも 続行5時間ほどで読破したのが ウォール家のメモアー 次女のJeannetteの自叙伝。読みはじめて中断できないほど夢中になった。アルコール中毒の父親と アーティストの母親 そして4人の子供達の凄まじいほどの貧困と戦いながらもウォール家の信念が ひしひしとこちらに伝わってくる。驚くほどその時その時を強く明るく生きてきた一家なのである。結果的に 成長して行く子供達が 自分の意志を持ちはじめた時に 育ってきた環境が負のエネルギーにならず それぞれの道を歩き出す。ニューヨークに移り住んだ子供達を追ってきた両親は 意図的にホームレスとなり生活をする。すごいのは実は母親は テキサスのオイルの出る土地をもち フィニックスにも大きな家を持ちながらもそれを売って生活の足しにしょうとしなかったというのが 後で子供達に分かる。家とか土地というのはセンチメンタルバリューにしかすぎなくて守る物であると母親が娘に語る。Jeannetteが大学を経済的な理由でやめようとした時 ホームレスの父親が黒いゴミ袋一杯のお金を 娘に届ける所では泣いてしまった。これは一読の価値あり。ガラスの家というのは父親が建てたかった家である。
 

2008年7月2日水曜日

無意識

 早朝のガイドの仕事を終え 少しうとうととお昼寝。目が覚めてテレビを何の気なしに眺めていたら 日本のコマーシャルが話題にあがっていた。 ある携帯電話のテレビコマーシャルが 日本に住む外国人の間で批難の声が上がっているらしい。 問題のコマーシャルは 言われてみれば アメリカ大統領選挙 特にオバマ候補の演説の実況放送を思わせる。CHANGEと言うカードを持った人々の中で 猿が演説を行なっていると言う設定なのだが CHANGEがオバマ候補のスローガンであることは アメリカに住む人々には一目瞭然であるが、一般の日本人がはたしてそれを オバマ候補と結び付ける事が出来るかは疑問である。 単に携帯のサービスを変えませんかと言うのがこの広告の 目的なのだが。無意識でも 問題堤起をしてしまうと言うよい例なのであろう。最近大勢の外国人が日本に住んでいるとは言え 98%は日本人というから。人種の坩堝であるアメリカとは違う観念で全ての事が行なわれている日本にとって これからもこう言う事が起きるのであろう。学生時代 広告の勉強をした私に取って興味深く思う一件である。