2009年7月30日木曜日

帰国1日目

 サンフランシスコの空港からの出発が遅れたが 予定とほぼ変わらない時間に関空に7/29到着した。はるかで新大坂まで50分あまり ひかりとこだまを利用して7:02には新倉敷着。例年は成田を利用していたがそれに比べると 3時間もかからず国内での移動が終了するから 身体が疲れない。楽しみにしていた鳴門の大塚国際美術館へ30日に行ってくる。かなりの広さと実物そのものの 作品らに圧倒されながら閉館の5時ギリギリまで鑑賞する。とりあえず日本からの更新。ポートランドはかなりの暑さらしくJANがモンタナをつれて 地下室の涼しい所へ移動したとメールがある。湿気でむしむしとした日本かと思いきや 凌ぎやすくポートランドの皆さんには申し訳ないぐらい。

2009年7月27日月曜日

猛暑

 なんと今日は夕方の6時前には華氏102度に達する。摂氏に直すと40度という所か。午前中の涼しいうちに ひんやりとした空気を 部屋の中に閉じ込めるかの様に窓を閉め、ブラインドもしっかり閉める。扇風機を作動させておくと、冷房無しでもしのぎやすい。外に出さえしなければ汗をかく事も無い。明日は今日より暑いらしいから ヒートから逃げ出す私は幸運かもしれない。ゴミの始末や洗濯も済ませた。ブログの更新はしばらくお休みかな。30日程 留守にするのでモンタナの御機嫌とりに余念がない。

帰国準備

 又してもヒートウエーブで極暑となっている。私の帰国の日が最も暑く、華氏103度に達するらしい。その日は朝4時起きで5時までには空港へ行くので 皆様には申し訳ないがエスケープ。工房や自宅の掃除も終了し 図書館に山の様な本を返却して帰国準備完了とする。手の届かない距離で 息子の事が心配と言えば心配だが 少しの間だけ母親ではなく娘として過ごさせてもらう。 

2009年7月22日水曜日

book club

工房でTinaの book clubのメンバーが5名集まり 私が用意した素焼きの皿や小鉢に絵付けをしながら 本の話をする会を先日開いた。皆それぞれが持ち寄った食べ物、私はオレゴン産のワインを提供した。2時間ほどで終了した。それぞれが絵付けした作品に釉薬をかけ本焼きをする。以前、ガールスカウトのグループとか 小中学生のアートクラスのフィールドトリップで工房訪問を頼まれた。大人の集まりはそれと比べると手がかからず大歓迎だと思った。しかも会費制だからこの不況のおり助かる。本格的にこういう企画をたてるのも悪くないなーなどと思った。自分の作業に支障が出ないのであればやる価値ありかな。   

2009年7月19日日曜日

更新

 ここの所と言っても 7/17から連続で ひさしぶりのガイドのお仕事に出かけている。身体や頭脳というのは 使わないと鈍るという事をひしひしと感じている。連日の暑さのせいだけではないのだが、脱力感との戦いだ。日本に帰る日も迫ってっ来ているし やらなければならない事が山積みなのだが どうも集中力にかけてしまい どれも手につかない状態だ。天気予報に寄るとこれから10日間ほど暑い日が続くそうだ。夏だから仕方ないとは言え お仕事に出かける時の化粧やジャケット着用は耐えられない物がある。ぶちぶちと言葉を並べとりあえず おざなりになっていたブログの更新とする。気持ちを入れ替えて明日からは頑張るぞ。 

2009年7月11日土曜日

Blueberry picking



ブルーベェリーを採りに出かける。1時間30分ぐらいで4ポンド程の収穫。相当量が摘みながら胃に入る。午前中だったので さして暑くなく快適だった。帰りに工房により素焼きのための窯をスタートさせてくる。あまり暑くない日を選ばないと終了後の工房は作業不良となる。明日は日曜日だから人並みにお休みにしようと思う。

2009年7月9日木曜日

Particles of truth

Particles of Truth

セルウッドの図書館に通いつめている昨今。読書とインディの映画にはまっている。 ジェーンオースティンのPride and Prejudiceを何をちまよったか 昨晩より再読しはじめてしまった。明日こそは工房にたどり着きたいと思っている。

2009年7月3日金曜日

奇妙な果実

 ベトナム人の経営する店で見かけた果実。名前は聞きとれなかったが1回食べたらやみつきになるらしい。フロリダ産らしい。あまりの大きさに圧倒されたのと 閉店間際で味見は出来なっかった。昨日からヒートウエーブで華氏で96度前後、摂氏だと34ー5度のすごい暑さになっている。工房で5時間程制作に励む。明日はずっとあたためてきた 新作に挑戦しようと思う。アイデアを形に変えるというのは、結構難しいが やってみようと思う。

2009年7月1日水曜日

父の誕生日

 7月1日は私の父の誕生日。昨夜日本の父と電話で話した。1918年生まれだから数え年の93歳、元気な声が聞けた。7月28日に帰国するのが待ち遠しい。私は小さい頃より容姿も性格も父親似だと言われて育った。小さい頃はそう言われる事に抵抗も感じた。特に容姿に関しては絶対的に否定したが 最近自分の顔を眺めるに骨格といい 造作そのものが父親なのである。大好きな父親に似てるんだから最高じゃないかと思う今日この頃である。