2008年6月30日月曜日

ジャニス ジョプッリン

 ジャニスの サマータイムを初めて聴いたのは美術学校時代 東京 西荻窪の私の兄のアパート。余りのせつなさに涙がぽろり。それから随分時間がたって1994年の夏ちょうど今頃 ポートランドへ引っ越してきた。Oregon College of Art and Craftに入学が決まっての移動だった。その頃も何故だか ジャニスの曲をよく聴いていた。特にサマータイムはまだ8歳の息子と車の中でよく歌っていた。時代を超えた名曲だと思う。個人的にも人生の転換期に何故だかこの歌が思い出される。昨日の浅川マキといい どうも感傷的になっているようだ。

2008年6月29日日曜日

浅川マキ

浅川マキ「浅川マキの世界」
 
 浅川マキの歌 夜が明けたらを 気が付くと一日中 口ずさんでいた。

 夜が明けたら 夜が明けたら一番早い汽車に乗るから 
 切符を用意してちょうだい 
 私のために一枚でいいからさ 
 今夜でこの街とは さよならね 
 わりといい街だったけどね
 

テンプレートの変更。

 ブログのテンプレートが暑苦しく見えたので変更。少しは涼しげだと思う。朝早く起床 窓を全開して空気を入れ替えし 居間のカーペットを夏用に取り替えた。冷やゾーメンのつゆを作り冷蔵庫で冷やす。これで今日はツルツルと冷たいソーメンが食べられる。これで鮎の塩焼きでもあれば最高なんだけど。

2008年6月28日土曜日

モンタナ


余りの暑さに ゴムの様にのびきったモンタナ。お腹を丸出し。私も同じポーズ。

華氏100度

 華氏100度 摂氏に直すと38度ちかくまで温度が上昇。ポートランドへ暑くなる前にユージンより戻ってきて正解。外はムンムンする暑さだ。モンタナはフニャフニャにのびきって 毛皮を脱がしてあげたい気がする。息子の方も心配したより痛みも 顔の腫れもなく経過良好。母の力強しと満足、一安心。冷房装置のある友人から避難してこいとのお誘いを断り 家の中、涼しい場所を求めてモンタナの後をおかっけまわす。猫は涼しい場所を知っていると聞いた事がある。バスタブが冷たいのか 座り込むというか骨抜き状態で横座りするモンタナに 同情してしまうほど暑い。

猛暑


 ユージンの街はオリンピックの陸上の予選で活気に溢れている。予選会場のまわりではいろんな催しがあるらしい。 残念ながら 今回は息子の世話のみ。 いっぺんに4本 親知らずを抜かれぐったりしている 息子の寝顔を見ていると彼が小さい頃の事を思い出す。よく扁桃腺をはらし 高熱で寝込む彼のベッドの横で本を読んであげたものだ。昔と違うのは わざわざ来てくれてありがとうと 何回も何回も麻酔が切れる前から感謝の言葉を口にする。母はよくここまで育ってくれたと 眠り込む彼の横で涙ぐむ。私が行く前に一階の部屋から 地下室の部屋に移ったので 外はかなり暑いのに 彼の部屋だけはひんやりとしている。 明日は34度まで温度が上がるらしいが この部屋ならしのぎやすい。興味をそそる本で溢れる彼の本棚を前にして息子には悪いが興奮状態。哲学と文学にわけてある本棚の前を行ったり来たり しかも彼は寝込んでいるので好きにあれこれひっぱりだせる。いつもだと 彼の本の解釈を聞かなければ 手に取らしてくれないのだ。

2008年6月25日水曜日

鮭の照焼き

 友人に頂いた鮭を照焼きにした。ご飯が炊けるのを待ちながら ちょっとベッドルームへ読みかけの本を取りに行った。居間の方に戻ろうとすると モンタナが慌てた様子で私の横をすり抜けて 息子の部屋の椅子の下にもぐり込む。変だと思ったのだが 椅子に座りしばし本を読む。 照焼きを食べるぞと台所にもどりお皿を出そうすると 生暖かい感触が足の裏に 鮭の照焼きと一緒に入れた竹輪が床に落ちている。モンタナ嬢の仕業 恐らく竹輪を口にくわえて取り出したものの 熱くてびっくりしたのであろう。走って部屋に逃げ込み姿を見せないモンタナに笑ってしまった。鮭ではなく竹輪とは。昔 妹の猫はトンカツの横に添えられたキャベツだけ食べてしまったことがあって、ベジタリアン猫と笑った事があった。被害が鮭に及ばなくてよかった。

親知らず

 世の中に親知らずが存在する事は知っていたが 幸いな事に私はその処置をしなくても良かった。親知らずが生えてこなかった。語源を調べた事がなかったのだが、息子がその手術をこの金曜日にやる事になり 調べてみた。子供のころと違って 親が知らないうちに生えてくるからそう呼ぶそうだ。異常に費用がかかり 親の経済状態など知らんふり からくるのではないそうだ。成人後に生えはじめる事が多いそうで、英語ではwisdom toothと呼ぶのだが、物事の分別が付く年頃になってから生えるのでそう呼ぶそうだ。息子が 分別の付く年頃に成長した証しと考えるしかないと自分に言い聞かせている。4本いっぺんに抜くそうだ。したがって母はユージンまで 出向いて どのくらい分別がついているのか確かめてくる。

2008年6月20日金曜日

夏至

 一年のうちで 昼が夜より長い日。久しぶりに26度まで温度が上がり 暑いなと感じた一日だった。これからは 製作途中の作品は乾燥が早くなるので 忘れずにプラスティックでカバーしておかないと大変なことになる。3階にある私の工房は夏は暑くてやってられない。これからは早朝のスケジュールか 夕方に変えようと思う。
 ポートランドの スターク ストリートにある太田豆腐で お豆腐を買ってきた。明日のお昼は冷や奴にしようと思う。何でもおいしく食べる事をモットーにしているが 年を重ねるにつれて やっぱり自分は日本人だと再認識する。特に夏はその傾向が強くなる。

モンタナ

 つい昼間の疲れが出たのか テレビをつけっぱなしで リビングルームのソファでうとうとしてしまった。目が覚めてモンタナが 床の方から私を見ているのに気づく。私のマフラーが床に落ちている所をみると 私の眠っている間にひとしきり遊んだのだろう。イノセントな目で見つめられると 文句もいえない。どこかで見た様な目付きだなと思う。そう言えば 何か欲しい物がある時の小さい頃の息子の目だ。無理を承知で 頼み込む時の目と似ている。残念ながら もうその手にはのらないよーだ。と強く睨み返したら 背伸びをしてキッチンの方へ歩いて行ってしまった。

2008年6月17日火曜日

夜回り先生

夜回り先生の水谷修さん(撮影:寺河内美奈)

 水谷修この先生の存在を知ったのは3ー4年前の夏。日本に帰国中に立ち寄った世田谷の友人の家で夜回り先生という本を本棚に見つけた。何の気なしにパラパラとページをめくり 驚きと感動のうちに読み終えた。息子や周りの若者を見る目が変わったといっても過言ではない。気長に待とうと思った。我が自慢の息子も当時自己形成の段階で悩んだり 時には私の理解を超える失敗を繰り返していた。親というものは 先回りをして被害を小さくおさえようという傾向があるが 私もかなり口うるさかったと思う。一人の人間としてみよう 事前に何かするより その過程で ちゃんんと受けてたてる母親になると決心した。子供だって大変なんだということを 忘れない様にすること 自分だってそこを通ってきて 何とかやってるのだから大丈夫と自分によく言い聞かせた。世の中が ただでさえ混沌としている。大人の責任としてかけがえのない 次の世代を担う彼等をちゃんと見守らなければと思う。そういう意味でも この水谷先生の存在は偉大だ。病気を抱えながらも奮闘する彼を尊敬する。

2008年6月14日土曜日

父の日を前に思う事

 私の父は高校教師として大勢の生徒さんに力を注いだ。未だに教え子達が父を 大事にしてくれている。90歳を越して 体力とか記憶力とか衰え出しているが 純粋で優しい自慢の父親である。子供の頃父親が話していた 木曽川治水工事、薩摩義士の話は大人になり 辛い時にどんなに私に力を与えてくれた事か。水害に苦しむ人々のために何のゆかりもない美濃の地に 幕府の要請があったとは言え しかも薩摩藩を衰退させる幕府の企みだと分かった上で 出向いていった。多数の犠牲者をだし藩の財政も逼迫した。薩摩77万石をもって 徳川800万石を倒すといきり立つ藩士を ”幕府と戦うことによって罪もない子供や百姓たちが命を落とす。それよりこれを受けて美濃の民は救われ仁義の道にも添い ひいては家安泰につながる”と、薩摩藩の家老平田ユキエと伴に日本最大の治水工事を今から250年以上 前に行なった。工事終了後 平田ユキエは多数の死者を出した責任をとって自害している。
 卒業して鹿児島から旅だっていく若者達にどんな困難にも負けるな 君たちは薩摩義士の末裔なんだと伝えたかったのであろう。のちに父が退職した時 教え子達が彼を美濃の地に招待した。最高のお返しの様な気がする。私たち兄妹が小さいころ 先生 先生とやってくる教え子の皆さんから お年玉ももらったが それより おせち料理がどんどんなくなっていくのを 心配した記憶がある。私は昔から ファーザーコンプレックスとか 言われたがそれが何で悪いと未だに思う。 

光と影

 光りと影 お散歩の途中で見る花や木がとても奇麗だなと感じる。いろんな嫌な事もあるけど まだこういう形で ささやかながら喜びを 感じられるという事はすばらしい。工房で思いっきり粘土と戯れてきた。今さらの様に 物を作る喜びを感じる。年老いてなお 絵を描きつづける私の母親の事を思う。展覧会に入選したと軽やかな母の声を思うと負けてはいられないと強く思う。

2008年6月12日木曜日

久しぶりの太陽

            画面の自分の姿に見入るモンタナ嬢
 
 午前中は ぱっとしないお天気で鬱々とした気分だったが 午後より太陽がお出ましになり少しづつ 気温が上がっていくのが分かる。ブラインドを開けてモンタナと日溜まりでよい気分。お天気に誘われて散歩にでかけた。30分ほどで戻ってくると消し忘れたコンピューターの前に座り込んでいるモンタナ発見。自分の姿に見とれているのかな。

2008年6月10日火曜日

DEADEYE DICK

Deadeye Dick

 ヴォネガットのDEADEYE DICKを読み終わる。アメリカの現代作家の本で読みたいリストの上位にあった本。現代社会のイノセントな魂が暴力的に踏みにじられる 悲惨さを彼特有の文体で表現している。大江健三郎が”小説のたくらみ、知の楽しみ”のなかで叫びたい様な悲痛を彼独自の叫びたい様なおかしさとないあわせて表現していると 書いていたけど。
 ストーリーの中に 事故で中性子爆弾がが爆発し建物や機械はどれも無傷で残るが人間は全滅してしまう町がでてくる。主人公のルーディが少年時代ライフル銃を掃除していて 誤って妊娠中の婦人を射殺してしまう。その経験が去勢された様な人間にしてしまうのだが。奇妙な恐怖感が読んでいる私に生まれてきた。中性子爆弾にたいする悪夢。ライフルを掃除していた塔が 光の中でその町を訪れた日本人の目に富士山のように見えたと言う箇所がある。それが日本における広島とか長崎の歴史を読者に思い起こさせる。日本語版も読んでみたいと思う。

2008年6月9日月曜日

キムの猫


 陶芸仲間のキムとスモキー。ペットは飼い主に似てくるとよく言うけど 本当にそうだと思う。

2008年6月8日日曜日

記事


 記事1 妹から転送されてきた記事。愛猫家にはたまらない。猫が人間化し 人間が猫化してお付き合いしている様な関係の私とモンタナ。まったく平等でどっちがどっちか分からない瞬間がある。年を重ねるにあたって 私は絶対 猫なんかに話しかける生活はしないと思っていたがもっぱら聞き役のモンタナに申し訳ないほどブツブツつぶやく自分に苦笑。 かくれんぼをしているかの様に 時々姿が見えない時がある。息子の部屋の椅子の下とか普段と違う場所で眠っている時はきっと GIVE ME A SPACE. と私に訴えているのかもしれない。
 
 記事2 アメリカ大統領選挙 やっと民主党候補オバマ上院議員に決まったが 今度は副大統領を誰にするかが二ユースをにぎわしているが クリントン候補支持の人たちの21%が クリントン議員を副大統領に指名しないのならば 共和党候補のマケィン氏に投票すると考えているという記事を 見つける。
 
 記事3 日本の教職免許法が10年ごとの免許更新制に成るらしい。それにあたり具体的形態が定まったそうだ。管理職はなんらかの形で免除がされるが 平成21年3月31日までに普通免許 特別免許を持っている現職教員 国公私立の幼稚園 小 中 高の教員がその対象になるらしい。時代にあった教員養成とかが要望されている事を反映しているのだろうが 現場にいる教員が一番子供に近く 事態を把握しているのではと思ってしまう。ただでさえやらなければ成らない事が多い先生方にまた一つ課題をあたえてしまったのでは 思ってしまう。


2008年6月6日金曜日

頑固なモンタナ


 二日ほど前にモンタナの餌が切れたので いつもと違うものを買ってきた。それが気に入らなかったようで 食べようとしない。お腹が空いたら食べると思ってたのだが 敵もさるもの好きなものは 曲げられないとばかり皿に入った餌を わざわざ外にとり出して私の顔を恨めしそうに見る。仕方がないからいつもの餌を 新たに購入 皿がからっぽになるまで 食べて満足そうだ。グルグル喉を鳴らしながら食べる姿に笑ってしまった。 頑固なモンタナの勝ち。 

2008年6月3日火曜日

アナログからデジタルへ

Digital converter box
 来年の2月にはいよいよアメリカは アナログ放送から デジタルへ変わる。それに先立って政府が コンバーター、一台に付き40ドル補助してくれるクーポンを発券。それぞれの家庭が、 2枚までクーポンを受け取る事が出来る。申し込んでいたクーポンが届いたので早速 20ドルでコンバーターを購入、取り付けてみた。画面のクリアーなのに驚く。これで新しいテレビなど購入する必要なし。

オバマ候補 

 民主党の大統領 予備選挙は事実上終了。 オバマ候補の勝利宣言が 緊急ニュースで現在 放送中。民主党候補 オバマ議員と共和党 マケイン議員の戦いになる。

2008年6月2日月曜日

擬宝珠


 子供の頃 我が家の庭のあちこちに このギボシがあった。 薄紫の花を咲かせる記憶がある。オレゴニアンの創始者へンリーピットクのマンションの庭先で見つけ 懐かしく思い出した。夏にはとても涼しげだ。いろんな種類があったから今度帰国したら写真に納めようと思う